keep learning blog(キープラーニングブログ)

自分が興味を持ったことを備忘録として残すブログです。

34.物理学の思考実験を紹介します

――世界は完全に狂っているかもしれないし、人生は無駄な労働かもしれない。だが、私は怠け者よりも愚か者になりたいと思う。そしてその苦痛を理由に命を終わらせはしない。――

ジェームズ・クラーク・マクスウェル

 

 

物理学における「○○の○○シリーズ」

6月です。1年外国にいたせいでそう思うのかもしれませんが、今年は梅雨が早いですね。5月から急に雨が降ったので、庭のお花たちが根腐れしてやられてしまいました。

しかし、必ずしも6月は憂鬱なことばかりではありません。私の家の庭にはJune Berryと呼ばれる樹が植えられていまして、毎年ブルーベリーくらいのサイズの甘い実を付けます。

毎年使い道がないので困っていたのですが、北欧生活を堪能してきたこともあり、今年は一念発起してジャムを作ってみました。濾すのがすごく大変でした。以下に写真も載せます。

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ちなみに、植物の細胞には細胞壁と呼ばれる動物の細胞にはないパーツが含まれており、その構成成分であるペクチンは、砂糖と一緒にぐつぐつ鍋で煮込むことで、繊維が千切れて袋状になり、水分と砂糖を絡め取ります。これが一般にジャムと呼ばれるドロドロした食べ物の正体です。

閑話休題。前回は何やら胡散臭い経済や投資の記事を書いてみたところ、やはりこういう話は自分には向いていないと思ったので、今回は理系ネタで書きたいと思います。

というわけで、物理や科学史を習ったことのない人でも一度は耳にしたことのある、物理学における「○○の○○シリーズ」をまとめてみます。

 

なぜ物理学には変なたとえ話が多いのか

これから、ガリレオの船、ラプラスの悪魔マクスウェルの悪魔シュレーディンガーの猫、双子のパラドックスディラックの海について紹介します*1

いずれも物理学の歴史に登場する話ですが、物理を勉強したことのない人でも一つくらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

実は、物理学にはこういった「○○の○○」という逸話が非常に多いことが知られています。その理由は、物理学という学問が本質的に実験を必要とするからです。

実験には、大きく分けて思考実験と観測実験の2種類があり、どちらも物理的な理論・法則の正しさを検証するために行います。理論と実験は物理学の両輪なのです。

中でも、思考実験は小説や漫画みたいにほとんど脳内の妄想なので、結構ファンタジックでエキセントリックな仮定のものが多く、素人が聞いてもなかなか面白いです。

ちなみに、「ニュートンのリンゴ」等は単なる物語(エピソード)なので、今回はそういったものを除外し、思考実験に関係するものだけ紹介します。

御託はこれくらいにして、雰囲気だけでも伝わるようにがんばって書きます。絵や概念図もがんばって書きます。

 

(1)ガリレオの船

冤罪裁判をテーマにした「それでもボクはやってない」という邦画がありましたね。ガリレオさんは、宗教裁判で「それでも地球は回っている」と言った人です。

現代では、太陽や星が地球の周りを回っている(天動説)のではなく、地球が自転しているから空の物体が回って見えている(地動説)と知られています。

しかしながら、ガリレオが生きていた当時の欧州では、聖書やキリスト教徒が天動説を支持していたため、彼は異端者として宗教裁判にかけられてしまいました。

当時の科学者は、「もし地球が回っているなら、ボールを空に投げたときに、地球が回った分だけズレた位置に落ちるはずだ。でも実際は真下に落ちてくる。地球は動いていない」と言いました。

その主張に対してガリレオは、「それは反論にならない。なぜなら、船員がボールをマストに向かって真上に投げ上げたとき、ボールは船尾に落ちたりしないからだ」と反論しました。

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これは、現代なら日本の中学生でも知っている慣性の法則というもので、ボールが船員の手から離れても、ボールは船と一緒に横方向に動こうとする性質で説明できます。

この世界が慣性の法則に従っている以上は、ボールが真下に落ちてきたという事実をもって地動説を否定することはできない、というわけです。

このように、ガリレオは天動説支持者の反論をガリレオの船という身近な思考実験に置き換えて退けました。ちなみに、ガリレオの船は観測実験が可能ではあるものの、実際には検証されなかったそうです。

 

(2)ラプラスの悪魔

ピエール・シモン・ラプラスと言えば、泣く子も黙る18世紀フランスの天文物理学者です。ポ○モンで海を移動するために利用される移動装置のことではありません。

彼は数学者としても優れており、工学系の学生が微分方程式を解くときに使うラプラス変換や、AIの分野で脚光を浴びているベイズの定理という確率論の基礎を作った人です。

ラプラスは、決定論者(運命論者)でした。「私たちがこれから経験する未来は、過去の事実から一意に決定される」という、夢も希望もない考え方です。

クラシック音楽が当時の欧州で最先端の音楽であったように、ラプラスの生きていた時代の物理は古典力学が主流で、まさにこの古典力学決定論的な枠組みの理論でした。

例えば、大砲の球を敵の船に当てたいとき、大砲を特定の角度に傾けて特定の火薬量をセットすれば、その事実(過去)によって球の着地点(未来)は完全に予測可能です。

ラプラスは、この大砲の球の動きと同じく、人間の意識(脳のシナプスの電気信号)から隕石の飛来まで、世の中のすべての現象が過去の事実から予測可能だと考えました。

そして、現時点までの過去の事実を記憶・理解した知性体が存在すれば、その知性体は私たちの未来をすべて知っているだろう、という思考実験をしたわけです。

この知性をラプラスの悪魔と呼びます。本当にこんな存在がいるなら、私たちに自由意志なんてないような気がしますね。総理大臣も最初から確定しているので民主主義が破綻します。

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しかし安心してください。ラプラスの悪魔は、古典力学と一体不可分なので、量子力学という20世紀の物理学の登場によって葬り去られ(否定され)ました。

ラプラスの信じた古典力学は、実は精度の高い近似(ほぼ100%正しい)で、球のサイズを小さくしていくと、あるところでズレが顕著になって古典力学に従わなくなることが知られています。

代わりに、ミクロな世界でも破綻しない理論として、20世紀に量子力学が登場しました。量子力学では、未来が確率的に分岐していて、私たちが観測するまで未来は確率的にゆらいでいる、という理論です。

量子力学のことを理解したい方は、専門書を読んでみてください。きっと、なぜそうなるのかさっぱり分からないと思います。私は物理学の修士号を持っていますが、未だに分かりません*2

 

(3)マクスウェルの悪魔

冒頭で素敵な格言を引用したジェームズ・クラーク・マクスウェルは、現代の携帯電話や電子レンジに使われている「電磁波」の存在を予言した、19世紀スコットランド生まれの物理学者です。

マクスウェルも電磁気学や熱力学の分野で数多くの業績を残しており、マクスウェル方程式と呼ばれる電磁気学のベクトル方程式は、この世の真理を映した最も美しい理論式の一つです。

他方、マクスウェルが電磁気学と同じくらい貢献した熱力学は、宇宙のようにスケールの大きい天体現象から身近なエアコンの原理まで、応用可能性の極めて高い分野です。

物理専攻の大学生は、だいたい1~2回生くらいの時期に熱力学を習います。そして多くの人が分かったような分からないような気分になって一生懸命に理解しようとします。私も例に漏れず熱心に勉強しました。当時Wordで書き起こしたノートも残っています(!)。

熱力学のまとめ.pdf - Google ドライブ

この熱力学には代表的な法則が三つあります。一つ目がエネルギーは保存するという法則、二つ目が熱は温度の高い物体から低い物体に移動するという法則、三つ目が物体の温度は絶対零度に到達できないという法則です。

中でも二つ目の法則は熱力学第二法則と呼ばれ、この世界にエントロピーと呼ばれる可逆性の尺度が定義可能なことを意味します。エントロピーは、外部からの仕事(干渉)がなければ絶対に減りません。

エントロピーは、エネルギーのように全体で保存する(収支ゼロで一定量を保つ)ものではなく、時間の経過とともに全体で増え続ける(片方で減ってももう一方ではその減少分以上に増える)ものです。

例えば、暑い浴室と寒いリビングが仕切られているとき、2つの部屋のエントロピーの和は比較的低い状態です。次に浴室の扉を開けると、浴室から暖かい空気がリビングに移動して、エントロピーの和は増大します。

最終的に浴室とリビングの温度が同じになったとき、エントロピーの和は最大となって、それ以上は何も起こらない平衡状態になります。

このように、熱力学的に次に何が起こるかを予測するためには、エントロピーを計算して、その総量が増える状態に向かって移行するだろう、といった感じで未来を予測できるわけです。

マクスウェルは思考実験で、この熱力学第二法則に従わないような、熱を温度の低い物体から温度の高い物体に移動させるような知性体の存在を提唱しました。それがマクスウェルの悪魔です。

今、二つの部屋が仕切られており、各部屋には様々な速度の分子が走り回っているとします。熱力学的には、速い分子がたくさんいる部屋は熱く、遅い分子がたくさんいる部屋は冷たくなります*3

二つの部屋の間では、マクスウェルの悪魔が仕切りを管理しています。悪魔は左右の部屋の分子の動きを把握しており、相対的に速度の速い分子を左の部屋に通し、遅い分子を右の部屋に通すものとします。

マクスウェルの悪魔が仕切りを適切に管理すると、もともと温度差のなかった左右の部屋に温度差が生まれ、しかも左の部屋をどんどん熱く、右の部屋をどんどん冷たくすることが可能になります。

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詳細は割愛するものの、仕切りを入れたり外したりする行為は、力学的には一切の仕事(干渉)をしていないものとみなされます。外部からの干渉なしに自動的に温度差が生まれるなんて、電気の要らない夢のエアコンです。

悪魔をどういう装置で実現するかは別問題として、それが思考実験でも矛盾なく成立してしまうなら、熱力学の理論が根本から崩れてしまいます。物理学者は、なんとかして悪魔の存在を否定しなければなりません。

マクスウェルの悪魔は長年の未解決問題でしたが、20世紀にコンピュータが登場したことで、一応の解決を見ました。IBMフェローのチャールズ・ベネットが、悪魔をコンピュータに置き換えて矛盾を導いたのです。

仮に、コンピュータが分子の選択的通過を行うためには、少なくとも分子の速さを情報としてメモリに記憶しなければいけません。つまり、時間の経過と共に悪魔の頭には情報が蓄積していきます。

ベネットは、この情報をメモリから消去するときに、必ず外部からの仕事が必要だと突き止めました。これをシャノンエントロピーまたは情報エントロピーと呼びます。

このことを考慮すれば、2つの部屋のエントロピーの減少量以上に、悪魔のメモリに存在する情報エントロピーが増大して、全体としては熱力学第二法則に従うことになります*4

以上により、悪魔の持つ「情報」を含めて全体を考えることで、悪魔は全知全能の存在ではないことが証明され、マクスウェルの悪魔は葬り去られ(否定され)ました。

 

(4)シュレーディンガーの猫

今回紹介する例の中では、これが一番有名かもしれないですね。シュレーディンガーは、量子力学の基礎方程式を考えた、オーストリア出身の物理学者です。

ラプラスの悪魔のところで少し触れたとおり、量子力学によると、未来は確率的に分岐していて、私たちが観測するまで未来は確率的にゆらいでいるそうです。理由は分かりませんが、そうなっています。

この確率的に分岐した未来という気持ち悪さは、当時の超有名物理学者アインシュタインを激怒させたらしく、「神はサイコロを振らない」という名言は量子力学に対する批判精神から生まれました。

時の人アインシュタインでも納得できなかった量子力学が、今日の私たちの世界を記述する基礎理論の根幹をなしているのですから、最先端科学の栄枯盛衰は無常なものです。

さて、シュレーディンガーの猫は、そんな「確率的にゆらいでいる」理論と白黒はっきりした私たちの日常との境界に対し、一石を投じるための思考実験でした*5

今、中の見えない箱に猫を入れ、箱の隅に放射線検出装置と接続された毒ガス発生装置を入れます。これは、放射線を検出したら毒ガスが箱の中に充満して猫が死んでしまう状況を作るためです。

「これの何が量子力学なのだ」と思われるかもしれません。実はもう一つミソがありまして、この中に、一定確率で原子核が崩壊して放射線を出す物質を封入します。仮に1時間で崩壊する確率が50%とします。

原子核はミクロスケールの物質なので、どれだけ丹念に原子核を調べても、原子崩壊するかどうかは確率的にしか分かりません。放射性物質は、ラプラスの悪魔も未来を予測できない、量子力学に従う存在というわけです。

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この思考実験の目的は、量子力学に従うミクロレベルの原子崩壊と、我々の日常レベルで白黒つけられる猫の生存/死亡(死因は毒ガス)とを結び付けることにあります。

この状況を作り上げて1時間が経過したとき、50%の確率で原子核は崩壊して、検出された放射線により毒ガスが放出され、猫は死にます。他方、もう50%の確率で原子核は崩壊せず、猫は生き延びます。

このとき、箱を開ける前の段階では、生きている猫と死んでいる猫が50%の確率で重なり合っているとみなされます。奇妙なことですが、これが量子力学の常識なのです。

もちろん箱を開けた瞬間に、猫が生きているか死んでいるかを確認することはできます。しかし、実験を繰り返しても、原子核の崩壊は予測できないので猫は必ず50%の確率で死んでしまいます。

これはサイコロの目が予測できないこととは次元が違います。サイコロの場合、投げたときの手の動きや机の摩擦等から、どう転がって止まるかは力学的に計算できます。単に計算する時間がないだけです。

他方、シュレーディンガーの猫が生きているか死んでいるかという結果は、いくら丹念に原子核を調べて計算しても、確率的にしか解釈できず、観測するまで確定しないのです。

このことから、確率に支配された量子力学という理論は、決して原子核のようなミクロの世界の話に限定されるものではないと分かります。我々の日常さえ、確率の支配からは逃れられないのです。

 

(5)双子のパラドックス

舌を出した写真でお馴染みのアインシュタインの思考実験です。実はこれとは別にEPRパラドックス(EはEinsteinの頭文字)という有名な思考実験があるので、アインシュタインパラドックスとは呼びません*6

アインシュタインは、相対性理論で有名なドイツ生まれの物理学者です。これ以外にも、光電効果ブラウン運動といったノーベル賞クラスの論文を20代後半で立て続けに発表し、一躍時の人となりました。歴史上稀に見る天才です。

この双子のパラドックスは、特殊相対性理論によって導かれる時間収縮の法則、

「ロケットに乗って速度 vで動いている者の時間経過 \Delta\tauは、ロケットの外で静止している者の時間経過 \Delta tよりも小さい: \Delta\tau=\sqrt{1-(v/c)^{2}}\Delta t

によって、ある矛盾(パラドックス)が生じてしまうという思考実験です。

いま、同じ日に生まれた双子の兄弟がいるとします。二人の20歳の誕生日から、兄はロケットで宇宙旅行に出発しました。宇宙旅行の計画は、地球時間だと往復10年で帰ってこれる計算です。

兄が旅行に出かけている間、弟は地球で何事もなく暮らし、弟が30歳の誕生日を迎えたときに兄が宇宙旅行から帰ってきました。弟は相対性理論で兄の時間を計算し、「兄さんは時間収縮の法則で10年を5年に感じているから、僕の方が年上だね」と言いました。

一方、兄は弟に年下扱いされたことにムッとして反論します。「弟よ。君から見れば私は速度 vで旅行をしていたように見えるかもしれないが、私から見ればむしろ君のいる地球が速度 vでロケットから離れていったんだ。だから時間が収縮したのは君の方だ」

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地球とロケットのどちらが止まっているのかというのは主観の問題ですし、時間収縮の法則は「向きには関係なく相対的に速度 vで動いている人の時間経過が遅れる」という法則なので、どちらの言い分にも一理あります。

では、間違っているのはどちらなのでしょうか。結論から言うと、弟が言っていることが正しく、兄が言っていることが間違っています。実は、弟と兄とではお互いの立場を完全に入れ替えることができません。

兄が主張するように、兄が等速直線運動をしている(同じ速度で進んでいる)ときに限っては、お互いの運動は相対的なので交換可能です。しかし、ずっと同じ速度で移動するだけでは宇宙旅行はできません。旅行には出発と到着、すなわち加速と減速が必要なのです。

具体的には、地球から出るときと、Uターンするときと、地球に着陸するときに、兄は急激に加速または減速してGを感じます。一般に、特殊相対性理論でいう時空図(時間と空間を合わせた座標軸)は、加速または減速を経験すると軸の傾きが変化します。

そして、兄の時空図の傾きが変化すると、弟の時空図との交点が変わってしまうので、その瞬間に兄から見た弟の時間がジャンプ(タイムリープ)したように見えるのです。兄の主張はこのジャンプを考慮していないため、矛盾を起こしていたのです。

以上のように、相対性理論は私たちの日常生活からは到底受け入れ難い理論であり、時間と空間に対する認識を再考させられる哲学的な理論でもあります。文章だけで読んでも時空図のイメージが湧かないと思うので、分かりやすく説明している先生の動画を紹介します。

www.youtube.com

熱力学と同じく、私が学部生のときにWordで書き起こしたノートもあります(私は大学レベルの数学を使っているのでYoutubeの方が100倍分かりやすいですけど)。

特殊相対性理論の整理.pdf - Google ドライブ

 

(6)ディラックの海

ポール・ディラックは、イギリス生まれの物理学者で、シュレーディンガーと一緒にノーベル賞を受賞しています。相対性理論量子力学を結び付けた相対論的量子力学という新しい物理学の扉を開き、ディラック方程式と呼ばれる公式を導いたことで有名です。

ディラック方程式量子力学特殊相対性理論を理解しないと「?」な公式なのですが、端的に言えば、シュレーディンガー方程式とローレンツ変換とを無矛盾に両立する一階微分方程式です(余計分からないか)。

これも学部生のときにWordでまとめたノートがあります。よくまあこんなのPCで書き起こしたなあ、と思います。若気の至りってやつですね。

相対論的量子力学.pdf - Google ドライブ

しかし、このディラック方程式は、ある重大な矛盾を抱えていました。というのも、この方程式は対称性を持った連立方程式になっており、正のエネルギー解が存在すると、必ずその対となる負のエネルギー解が出てきてしまうのです。

一体何が矛盾するのか。それには、高校の化学で習った「周期表」が関係します。水兵リーベぼくの船・・・のやつです。実は、負のエネルギー解を認めてしまうと、この周期表がまったく意味をなさなくなって、化学の先生が大嘘を教えていることになってしまうのです。

まずは復習します。私たちの身の回りの物質は原子からできていて、原子は原子核の周りを電子がぐるぐる回っていると知られています。そして、その周回軌道にはコンサート会場のように予め席の数が決まっているので、席の埋まり具合に応じて表に書き込んでみた、というのが周期表です。

私たちがコンサート会場に行ったとき、もし席が自由に選べるなら、なるべく演奏者に近い席を選びますよね。電子も同じで、原子核に近い席ほど人気の席です。そして、原子核に近い席ほどエネルギーが低いので、「エネルギーが低い=人気が高い」ということになります。

原子の場合、一番内側の軌道(K殻)には、電子2個分しか入りません。1個入ったら水素、2個入ったらヘリウムです。次に外側の軌道(L殻)には、電子が8個入ります。1個入るごとに、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオンと呼ばれ、物質としての性質が変わります。

なぜ周回軌道ごとに席の数が決まっているかというと、量子力学シュレーディンガー方程式を解くとそういう解が出てきて、しかも量子力学の世界には「1つの席には1つの電子しか座れない」という椅子取りゲーム風ルール(Pauliの排他律)が存在するためです。

実際、原子に対して何か強い力を与えて、内側を回っていた電子を弾き飛ばすと、外側を回っていた電子がその空き席を目ざとく見つけて、ほんの一瞬(緩和時間)の隙に席を埋めてしまう、という実験結果もあります。だから、化学の周期表が成立するためには、席の数が有限でないとおかしいのです。

しかし、ディラック方程式は明らかに負のエネルギー解を持ちます。これでは、世の中に正のエネルギーを持った電子は1つも存在できません。周期表も原子も存在できません。なぜなら、電子がこの世に生まれた瞬間に、負のエネルギー領域に存在する無限個の空き席に飛び込んでしまうからです。

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ディラックは、この問題に対して非常にユニークな解釈をしました。「真空中には負のエネルギー準位が確かに存在する。しかし、そこには負のエネルギーを持った電子が渋滞を起こしていて、もう他の電子が入る隙間などないのだ」

この真空中に渋滞している負の電子集団こそ、ディラックの海です。当時はあまりに突飛すぎて、多くの科学者が消化不良を起こしました。これがのちに、秀才リチャード・ファインマン*7によって、現代物理学の到達点ともいえる場の量子論と呼ばれる理論に活かされることとなります。

 

以上、今回は学生時代の経験を生かして記事を書いてみました。私の3大口癖は「もう少し寝よう」「また忘れてた」「早く金曜になれ」ですが、本当はいつもこうやって世界の真理や秩序について思索を巡らせています。決して人生を舐めているわけではないのです。

それにしても、経済の記事でもそうでしたが、「~であるから~だと言える」みたいに断定口調で書くのは、なんだかむず痒いですね。「たぶん~だと思うんですけど・・・あれっ、違いました?」という煮え切らない日々の自分が嘘のようです。

稚文をお読みいただきありがとうございました。

*1:紹介するだけで、誰でも分かるように解説するわけではありません。これらの逸話が腑に落ちるためには、古典力学から相対論的量子力学までをきちんとした教科書で勉強しなければいけません。学問に王道なしです。

*2:大学で遊びまわっていて理解できていないわけではなく、本質的に量子力学というのは神秘の理論なので、未来を予測するために方程式を立てたり解いたりすることはできても、なぜその方程式に従うのかを論証することはできないのです。大学できちんと物理を学んだ人で、「私は量子力学を完全に理解できた」と言っている人がいたら要注意です。その人は100年に1人の本物の天才かもしれませんが、大抵の場合は根本的に誤解しているか、かなり頭がイッてしまっている人です。

*3:私たちが熱い・冷たいと感じる感覚は、すべてこの分子の速さの程度で説明できるわけです。

*4:私は熱力学の研究者ではないので明るくないですが、これはあくまで平衡系熱力学の平衡状態において正しい結論であって、非平衡系熱力学(平衡状態に遷移する途中を考える分野)では、熱力学第二法則が一時的に破られている可能性があるそうです。

*5:しつこく断っておきますが、観測実験ではないので動物虐待ではありません。

*6:アインシュタインが最初に考えた原案では「時計のパラドックス」という名前だったそうですが、それをポール・ランジュバンがより面白いストーリーに仕立てるため、双子を持ち出してこの思考実験になったそうです。

*7:ファインマン物理学と呼ばれる教科書シリーズで有名です。ソ連ランダウが書いた教科書シリーズと人気を二分していますが、どちらかというとファインマンは数式より文章による説明を好み、ランダウは数式の展開による説明を好むタイプで、読者の趣味が分かれます。ちなみに、ファインマンは学生時代に原爆開発プロジェクトのマンハッタン計画にも携わっています。本人に悪気はなかったのかもしれませんが、天才の頭脳が殺戮兵器の開発に利用されるというのはなんとも悲しいことです。