3.留学先について
――もし全世界を手中に収めようとも、そのために自分の魂を失ってしまえば一体何の意味があろう。――
留学先について
第1回、第2回の記事では、外国で生活をする前に準備しておくべきことについて、経験談を交えつつ情報をまとめました。第3回ではより個人的な話題、すなわち、私の留学先である「デンマーク」という国について紹介したいと思います。
基本情報
デンマーク王国(Kingdom of Denmark)は、北欧諸国(Nordic countries)に属する立憲君主制国家です。すなわち、日本の天皇と同じように、政治的な権限を有さない君主を王として擁する国家です。
さて、北欧と言うと、多くの人はまずスカンディナビア(Scandinavia)半島のどこかを思い浮かべるのではないでしょうか。実は違います。
以下の図をご覧ください。デンマークは、ドイツの北部と地続きになっている半島と島で構成され、北欧諸国の中で最も西欧寄りの国です。
外務省HPによると、2018年3月時点の基本的な情報は以下のとおりです。
【デンマーク王国(Kingdom of Denmark)】
面積 ⇒ 約4.3万km²(日本の11.4%、九州と同じくらい)
人口 ⇒ 約578万人(日本の4.6%、兵庫県と同じくらい)
首都 ⇒ コペンハーゲン
言語 ⇒ デンマーク語
宗教 ⇒ キリスト教 福音ルーテル派
(出典:デンマーク王国 | 外務省)
面積が日本の11.4%で人口が4.6%ですので、日本の人口密度はデンマークの2.5倍近くあるんですね。そのためか、公共交通機関の乗客はまばらで、車内はとてもゆったりしています。国民全体として子供やお年寄りに(外国人にも)親切ですし、笑顔も豊かで、人々の心にゆとりを感じます。
バス停の名前や看板の表記は主要言語であるデンマーク語ですが、老若男女問わず、ほぼ皆さん英語が話せます。役所の手続きから定期券の購入(機械の操作)まで、すべてEnglish OKなので留学生にも安心です。
宗教は国教である福音ルーテル派、すなわちプロテスタントです。1517年にドイツの牧師であったマルティン・ルターが唱えた宗教改革(プロテスタンティズム)は、ローマがドイツの南方にあるという地理的要因もあってか、ドイツ北方の北欧諸国に広く受け入れられました。そして、デンマークは1536年の国民議会においてカトリック教皇庁と絶縁宣言*1し、以後プロテスタントの国となりました。
経済・社会
産業 ⇒ エネルギー、農業(畜産業)、生命科学
名目GDP ⇒ 約0.32兆米ドル(日本の6.0%)
国民一人当たりGDP ⇒ 約5.5万米ドル(日本の129%)
(出典:GDP and spending - Gross domestic product (GDP) - OECD Data)
通貨 ⇒ デンマーク・クローネ(DKK)
平均的な税率 ⇒ 消費税25%、所得税+住民税50%、自動車税180%
教育ランキング ⇒ 世界10位(日本は21位)
安全ランキング ⇒ 世界9位(日本は2位)
(出典:Rankings :: Legatum Prosperity Index 2018)
幸せランキング ⇒ 世界2位(日本は58位)
(出典:Changing World Happiness | The World Happiness Report Figure 2.7: Ranking of Happiness 2016-2018)
デンマークの主要産業は、この国が置かれた環境・社会情勢に深く根差しています。
国土が海に面しているので風力発電のエネルギー産業が発達し、緑が豊かなので豚肉の畜産業や農業が盛んであり、長寿のため高齢化社会を支える生命科学に力を入れています。規模は小さいですが一人当たりGDPは日本より高く、生産性は高いと言えます。
また、レゴ(玩具)、ロイヤル・コペンハーゲン(陶器)、フライングタイガー(ワンコイン・ショップ)等の有名ブランドも多数輩出しており、その北欧らしいデザイン性の高さから、デザインの国というイメージでも広く知られています。
通貨は、2000年の国民投票でEUの統合通貨ユーロへの参加が否決されたため、独自通貨クローネを流通させています。ただし、クローネの対ユーロ変動幅は中心レートから上下2.25%以内に維持しており、実質的にはユーロとの固定相場制を採用しています。2019年7月現在、1クローネは約16.7円というレートで推移しています。
税率に関しては、北欧モデルの例に漏れずたいへん高い比率です。消費税25%もさることながら、所得税と住民税だけで所得の半分を占めるというのはなかなか衝撃的です。なお、自動車税180%というのは誤記ではなくマジです。原価100万円の車は280万円になります。
しかし、デンマークの人はこの税率の高さを不満に思っていません。なぜなら、徴収された高額な税収は、充実した公共福祉の形で国民へと還元されるからです。このマルクス主義の理想形ともいえる公共福祉の柱として、以下の3つが挙げられます。
(1)医療費無料
これは文字通り本当に一銭も払いません。デンマークにはかかりつけ医(ホームドクター)制度があるため、大きな病院にかかる前にまず自身のかかりつけ医に診てもらう必要はありますが、その医師との診察も、大病院での診察も手術も、すべてが無料です。ちなみに、子供の出産費用も無料です。
この制度の驚くべきところは、私のような留学生であっても、住民登録さえしていればまったく同じように恩恵を受けられるという点です。仮に私が大きな病気に罹って入院したとしても、私の妻がデンマークで出産したとしても、その費用はすべてデンマーク政府が負担してくれます。
(2)教育費無料
デンマークでは、6歳から幼稚園クラスに1年入り、その後は7歳から16歳まで小学校・中学校のような9年間の義務教育を受けます。その費用は無料です。
義務教育期間中の子供たちには、テストらしいテストもなく、自分の得意なことやどんな職業に就きたいか等を考える時間が与えられます。その後は普通、商業、工業、資格学校のような高校に分かれており、日本に比べて実践的な職業訓練の場になっています。
そして、さらに大学に進学した場合には、一人当たり毎月5,000クローネ(8万円以上)が国から支給されます。デンマークの人にとって、大学というのは国からお金をもらって行く場所なのです。貧富の差に関係なく、情熱さえあればどんな人にも平等にチャンスが与えられます。
(3)充実した高齢者福祉
日本と同じく、デンマークでも高齢化は大きな社会問題となっています。そのため、高齢者福祉はデンマーク国民にとっても政治家にとっても、常に主要な関心事項です。
これは日本では考えられないことですが、実はデンマークでは、プライベートセクター(民間企業)による高齢者の介護が法的に禁止されています。そのため、すべての介護は市のような行政組織によって無償で行われます。
特に一般的なのは在宅介護サービスで、役所の職員が各家庭にやってきて、トイレや着替え、食事などのお手伝いをしてくれます。緊急事態のときは、救急車のように24時間いつでもすぐに駆けつけてくれるそうです。
そして、葬儀費も国から援助があり、高齢者の社会活動を支援するような民間のボランティア団体もあります。こうした高齢者への手厚い支援が、デンマーク人は世界一幸せだと言われる所以でしょう。
以上のように、高い税率に見合うだけの医療・教育・福祉制度が完成されているからこそ、人々は安心して税金を納め、幸せな人生を信じて生きることができます。
こうした社会福祉システムが適切に機能することで、この国の高い教育レベル(世界10位)、低い犯罪率(世界9位)、高い幸福感(世界2位)を維持できるのだと感じました。日本が真似すべきとは思いませんが、一つのモデルケースとして興味深いです。
なお、デンマークのような高福祉国家が抱える課題や他国の社会システムとの比較については、1989年にデンマーク人の社会学者イエスタエスピン・アンデルセンさんが福祉レジーム論としてまとめています。ご興味があればどうぞ*2。
福祉資本主義の三つの世界 (MINERVA福祉ライブラリー)
- 作者: イエスタエスピン‐アンデルセン,Gosta Esping‐Andersen,岡沢憲芙,宮本太郎
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歴史
苦手なので、恥ずかしくてあまり人には言えないのですが、実は私は高校時代に世界史を取っていました(受験では使いませんでしたが)。
しかし、北欧に特化した歴史を勉強したことはないので、多くの内容はこちらに来てから調べたものです。教科書的にまとめるのではなく、自分がおもしろいと思った部分だけピックアップしてみました。
ヴァイキング時代
欧州の歴史において、初めてデンマークが表立って登場するのは8世紀のことです。
当時、ドイツ北部からスカンディナビア半島南部にかけて分布していた北部ゲルマン人(ノルマン人)は、欧州各地で船団による侵略行為を繰り返しており、ヴァイキングと呼ばれ恐れられていました。8~11世紀にかけて、今のイギリスやフランス・ポルトガル等の教会や修道院を襲撃し、その悪名を轟かせていたそうです。
「ヴァイキング」と聞いて日本人が思い浮かべるのは、この絵にあるような、角の付いたヘルメット姿の屈強な男性ではないでしょうか。しかし、学説ではヴァイキングが角付きのヘルメットを戦争で装着した事実はないそうです。よくある歴史のデマみたいですね。
ちなみに、ヴァイキングの探検家「レイフ・エリクソン」さんは、コロンブスが発見する500年以上も前にアメリカ大陸(ヴィンランドと名付けました)を発見した人です。しかし、当時は未開の地を最初に見つけた人が主権を宣言するという慣行はなく、原住民の抵抗で入植にも至らなかったので、最初にアメリカ大陸を発見したヨーロッパ人はコロンブスということになっています。
バルト海進出とコペンハーゲン
ヴァイキングの系譜に連なるデーン人(デンマーク人)のクヌート1世は、1016年にアングロ・サクソン人の住むイングランドを征服し、後に環北海帝国を設立します。彼は一時、イングランド・デンマーク・ノルウェーの王様を兼任しました。
しかし、あまりに領土が広いこともあって、彼の死後数年で環北海帝国は崩壊しました。しばらくは跡取り争いの混乱が続き、デーン人の侵略行為もなりをひそめていましたが、1157年に王位についたヴァルデマー1世は、バルト海南岸(現在でいうドイツ北部のリューゲン島)に攻撃を仕掛けます。
この攻撃の足掛かりとして、バルト海に面したエーアソン海峡は重要な軍事拠点でした。これが後にデンマークの首都となる、コペンハーゲンの発祥です*3。
カルマル同盟と領土縮小
1375年にヴァルデマー4世が死去するまで、デンマークは領土を安定的に維持しました。しかし、彼には息子がいなかったので、ノルウェー王に嫁いでいた娘のマルグレーテ1世がデンマークの摂政を務めて(日本でいう藤原氏のように)裏で実権を握り、ノルウェーとデンマークを実質的に支配しました。
その後、マルグレーテ1世は、1397年にスウェーデン南境のカルマルでデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの連合同盟「カルマル同盟」を成立させました。このカルマル同盟は、デンマークにとって栄光の象徴とも言えます。この頃のデンマークは北海からバルト海沿岸にわたる超大国、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで存在感を示していました。
しかしながら、1520年には内戦でスウェーデンの独立派を粛清した「ストックホルムの血浴」が勃発してスウェーデンが同盟を離脱し、1814年には「ナポレオン戦争」によりノルウェーをスウェーデンに明け渡しました。1865年には「第2次シュレースヴィヒ戦争」により国土の中で最も肥沃だったシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国をプロイセンに奪われました。近代の戦争では負けっぱなしというわけです。
これらの敗戦を教訓として、デンマークは中立主義となり、二度の世界大戦でも中立を貫きました。また、度重なる敗戦で領土を失っても希望を捨てず、荒地に植林をし、農業(畜産業)を国の産業として育て上げ、ふたたび豊かな国へと蘇らせました。
こうしたデンマーク人の辛抱強い精神性は、1911年に内村鑑三によって日本に紹介され*4、戦後日本の復興のモデルケースとして見直されました。
以上、一部誤解が含まれているかもしれませんが、デンマークという国を日本との関係の中で理解するために注目すべきポイントに絞ってご紹介しました。社会システムや歴史については、調べる過程で私もたいへん勉強になりました。
稚文をお読みいただきありがとうございました。